何か親父に似てきたなぁぁぁ
血統書が付いてれば、それはそれで大変だけど
ガンバってほしいッ!!! (願
彼は “宝” なんだから。 ^^
2005年に40歳で亡くなった“破壊王”橋本真也さんの長男・橋本大地(18)が3月6日、ゼロワンの東京・両国国技館大会でプロレスラーとしてデビューする。しかも、対戦相手は闘魂三銃士として父の盟友だった蝶野正洋(47)。いきなりメーン扱いの60分1本勝負。過去に例のないデビュー戦である。18歳の双肩にかかるプレッシャーと期待度は計り知れない。“破壊王子”大地に、プロレス初陣の不安と期待、心意気を聞いてみた。 (門馬忠雄)
プロレスラーデビューが間近に迫った。トレーニングも最終調整段階。橋本真也の息子という重い看板を背負った圧迫感は大変なものだろう。
「決まった時(デビュー)はうれしかったですけど、いやですね。こうしてだんだん迫ってくると、やっぱりいやです」
対戦相手は蝶野。破格のデビュー戦カードである。どんな心境だろう。
「デビュー戦って言われたのもつい最近。最初はひとつの案として、こんなの面白いなと思って蝶野さんの名前を挙げていたんですよ。それがまさか…。びっくりしました。いやでしたね。でも、その日から気持ちを切り替えるしかない、と覚悟を決めました」
蝶野は大地が父と同じ道を目指すと聞いた時から相談に乗ってきた。両国大会のカード発表の時にも、自ら記者会見に立ち会っている。
「蝶野さんとは昨年、何度も会っています。そのたびに『頑張れよ』って励ましの声をかけてくれました。具体的なアドバイスはありませんが『女には気をつけろよ』と言われました(笑)。蝶野さんからの注意はそれだけ。怖い感じではなく優しい人ですね」
大地の進路を決定付けたのは、中学1年で遭遇した父との悲しい別れだったという。橋本真也さんは、05年7月11日、脳幹出血で亡くなった。その日を境に、少年の心は大きく揺れ動いた。
「あの日はあまりに突然のことで『エッ!!』と一瞬ポカーンとなってよく覚えていないんですよ。父が死んだ、と現実を受けとめたのは、(遺体と)対面した時です。大変なことになったって体が硬くなって、その夜寝たのかどうかも…。友達にプロレスラーになると言っていたのは小学生のころで、遊び半分だったと思います。実際にそう思い始めたのは中学になってから。父が亡くなった時、中学1年の夏だったから、あのころ意識したのかな。はっきり『父の後を継がねば…』と思ったのは、高校に入ってからですね」
高校は横浜市の日々輝(ひびき)学園高、男女共学だ。同級生や周囲は好奇の目で見る。避けては通れぬ圧迫、プレッシャーと格闘し続けてきた高校生活だ。色白で顔立ちの優しい男前。女子生徒にモテそうなタイプである。
「そんなことないです。学校ではあまりしゃべらなかったから…。もちろん、友達はいましたけど、特定の女の子なんかいませんよ。同級生の男子にはプロレスをやると話しましたけど、あとはしゃべってないですよ。ほら、こうして(前髪を垂らして)マスクして通学していましたから」
父の新日本入門時のサイズは183センチ、100キロを超す。大地は現在180センチ、80キロ。体力は未熟。父親と比較するのは酷だが、今後に不安はないのだろうか。
「身長は去年あたりで止まったみたいです。体重はなんとか大きくして90キロ台にしたいですね。やると言った以上、やり通します。大丈夫です。頑張ります」
ゼロワンの道場は東京都港区の倉庫2階にある。高校に通学する練習生とあって、トレーニングは特別メニューだ。練習時間は1日平均5時間という。今は最終の調整段階に入ったとはいえ、疲労のピークにある。泣きがはいっているのでは?
「きついです。想像以上にきついです。練習メニューはストレッチから始まりますが、スクワット、スパーリング…全部きついです。コーチは田中将斗さんですが、仕上げが終わったらクタクタです。あっちこっち痛いですね」
練習ばかりが仕事ではない。他団体へのあいさつ回りという裏仕事もある。今月4日の安田忠夫引退興行、6日の全日本といずれも後楽園ホール大会に出場したゼロワンのトップ、大谷晋二郎のセコンド。そして17日は自団体の後楽園大会があり、デビュー前のあいさつも予定されている。休みなしのスケジュールが詰まっている。
「みんな勉強ですから、無我夢中でやっています。とにかく言われた通りやっている。この(引きずっている)右足ですか。ヒンズースクワットのやり過ぎですから大丈夫です」
振り返ってみれば、早いもので今年7月11日は父の七回忌だ。岐阜県土岐市に菩提寺がある。 「本当は試合の前に報告に行きたいのですが、忙しくて時間が取れません。もし試合前に行けなかったら、終わってからの報告になると思います。父の墓参りには何回も行っていますから。七回忌のことは母がいろいろやってくれると思います」